お墓は、生きている(遺された)者のためにある、という持論と同じく、葬式もまた生きている(見送る)者の気持ちに区切りをつけるための儀式だと思っている。
とはいえ、故人の遺志は反映されるべきだし、したいとも思う。
その点、父親は「葬式は故人の生き様を映す鏡」と考えているらしく、「相応しい」規模と様式で行うべきだと主張する。
が、祖父は96歳。大往生だ。
弔問客もそう多くはない。
「家族葬」も選択肢のひとつだろう。
参列する葬儀が多いのは切ないことだが、同時に恵まれていることかもしれない。
つながり。
広がり。
親密さ。
人が人を悼むということ。
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この度は、ご愁傷さまです…。
おじいちゃま、大往生やったんやね。
ゆっくりお見送りしてください。
おじいさま、ご立派な大往生です!
お疲れ様でした。
ごゆっくりお休みください。
涼さんも、おつかれがでませんように。
私も以前「お葬式って」と考えたことがあったよ。
ま、葬式に限らず、人生の節目にあたるような儀式全般に言えることなんだけど。
ただ、自分の葬式は自分で仕切れんからなあ。
いろんな考えがあるよね。
ところで。
とってもとっても老婆心なのですが。
身内以外の方が大往生とおっしゃるのは控えられた方がよろしいかも。です。
失礼しました。