2011年09月10日

訃報

母方の祖父が今朝、亡くなったので、葬儀のために帰省。

お墓は、生きている(遺された)者のためにある、という持論と同じく、葬式もまた生きている(見送る)者の気持ちに区切りをつけるための儀式だと思っている。
とはいえ、故人の遺志は反映されるべきだし、したいとも思う。
その点、父親は「葬式は故人の生き様を映す鏡」と考えているらしく、「相応しい」規模と様式で行うべきだと主張する。
が、祖父は96歳。大往生だ。
弔問客もそう多くはない。
「家族葬」も選択肢のひとつだろう。

参列する葬儀が多いのは切ないことだが、同時に恵まれていることかもしれない。
つながり。
広がり。
親密さ。
人が人を悼むということ。
posted by しがない物書き椿屋 at 22:43 | Comment(3) | TrackBack(0) | 外から
この記事へのコメント

この度は、ご愁傷さまです…。

おじいちゃま、大往生やったんやね。
ゆっくりお見送りしてください。
Posted by ハチ at 2011年09月11日 12:07
御愁傷様です。

おじいさま、ご立派な大往生です!

お疲れ様でした。

ごゆっくりお休みください。

涼さんも、おつかれがでませんように。
Posted by kiriko at 2011年09月11日 16:48
寂しくなるね。

私も以前「お葬式って」と考えたことがあったよ。
ま、葬式に限らず、人生の節目にあたるような儀式全般に言えることなんだけど。
ただ、自分の葬式は自分で仕切れんからなあ。
いろんな考えがあるよね。


ところで。
とってもとっても老婆心なのですが。
身内以外の方が大往生とおっしゃるのは控えられた方がよろしいかも。です。

失礼しました。

Posted by フリ中 at 2011年09月12日 03:33
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