2007年05月21日

『ミモザがゆれるとき』

 電話を切ったとたん、無性にミモザが飲みたくなった。

 由佳があの淡いオレンジ色のカクテルを欲するのは、
 隼人に会いたくなってしまったときだと決まっている。
 本当はお酒なんて好きじゃない。
 けれど、ミモザだけは別だ。

 初めてミモザを飲んだのは、
 大学の新歓コンパの帰り。
 隼人ともそこで出会った。

 酔っ払った由佳を見かねて、
 輪の中から連れ出してくれたのが
 午前2時を少し回ったころ。

 「家、どこ?」と聞かれたものの、
 どうしてだかもう少しだけ外にいたい気分で、
 初対面こその気安さもあって、わがままを言った。
 というよりは、駄々をこねた。
 と、言った方が正しいかもしれない。

 あのときのことを思い出すたび、
 由佳はくすりと笑ってしまう。

 そして、ちゃんと家に帰っていれば…
 ほんの一瞬考える。
 もしあのときをやり直せたとしても、
 決して家には帰らないことを知っていながら。

 「しょうがないな。じゃあ、ついてきて」
 少し歩いたら、地下へと続く細い階段。
 「ここ、どこ?」
 「バイト先」
 へぇ、と呟いて店内を見回していると、

 「ま、座れば?」とスツールを引かれる。
 「ジュースにする?」
 なんとなく、ジュースを頼むのはもったいない気がした。

 「お勧めは?」
 「酒がいいの? だったら、軽めにつくるよ」
 隼人はカウンターへと入ると、
 静かな佇まいのシャンパングラスを選んだ。
 注がれた液体の中で、
 しゅわしゅわしゅわっ
 揺らめく泡がまるで宝石みたいで、
 ぼんやり見続けていると、
 隼人が薄く笑った。

 「なに?」
 「いや、ガラスケースの人形を見てるちっちゃい子みたいだなって」
 「失礼ね」

 カウンター越しに交わす言葉は、
 それだけで特別な感じがした。

 いまふたりの間にある空気も特別なにおいがした。

 たとえそれがつかの間の錯覚だとしても、
 差し出されたカクテルを前にひとつの予感。

 きっと自分はこの人から目が離せなくなる――。

 ふいに息苦しくなったら。
 秘めごとは
 あの淡いオレンジ色に
 ほんの少し
 溶かしてしまえばいい。
 ミモザを飲むとき、由佳はいつもそう思っている。



posted by しがない物書き椿屋 at 02:30 | 京都 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | たゆたふ欠片
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