2005年06月20日

逆さまにされた矢印

札幌Kの日記を読んで。

やっと、しっくりきた。

哲学者が「悲しみはこれこれ」と言うとき
小説家は「これこれが悲しみ」と書く。

という行(くだり)を読んで。
ははん、そういうことか、と。
なになにということ、というフレーズを誉めてくれたのは、そういう意図があったからか。


哲学者と小説家が紡ぐぞれぞれの「これこれ」が決してイコールじゃなくても、「悲しみ」は表現できるものではないか。
なんて考えながら。
花の色や形や香りが美しいのではなく、多少の例外はあるとして、須らく花というものは美しい。
そう思うように、人の記憶と感情と脳は何かにコントロールされている。
極論かもしれないが。
posted by しがない物書き椿屋 at 00:00 | 京都 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日々まにまに
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